
何で50が選べないかな!?
これは私の生涯に渡る命題のひとつである。例えばイジメられたとする。
- とことん殴り合い
- 我慢する
これって、どちらも精神状態は最悪だ。しかし、この両極端な選択を迫られ、実行し続けてしまう、なぜ、右から左に耳から抜く
たったこれだけのことができないのか。私の母親は達人、師範代の領域といっても過言ではない、物事を忘れられる人だ。妻もそうである。全く性格は違っていても、私よりは楽しそうに生きている。
なぜ「何とかなる」にならないかな!?
今年は初めての地域役員選出、と、言われただけで、
- 出来ずに逃亡
- こんなもんできるか!と食ってかかる。
選択肢少なすぎ、どうして何とかなる、できなきゃその時はその時。とならないのか、死ぬわけでもないのに。
これには、
- 自分の体調が持つかどうか
- 完璧にこなしたい
という自分がせめぎ合っている。
- 体調悪けりゃ悪いという
- 完璧?初めてなのにできるか!
という思考になれば、毎日の不安神経症も緩和されると思われる。
自分が不安を呼び込んでいる
何でこれを常に頭に入れておけないのかな!?と自分の記憶、知能を責めたくなる。
不安要素を摘み取ると考えると摘み取るために大きなエネルギーを消費してしまうが、不安と感じなければ、消費エネルギーはゼロである。
なぜこれができないのかな!?間違いなく私の性格の核である。この思い込みも無くせないものかな!?
自分の長所でかき消せないか
私の長所…(汗)思い浮かばないが、これなら大丈夫!という切れ味が良い対策法は無いものかと考えてみた。
私は昔から実行力だけは早い、しかし、独断専行で周囲からヒンシュクを買うのもまた多い。仕事を止めるのを勝手に一人で決める、こんなこと日常茶飯事。
普通の家庭ではありえないだろう。この実行力が、
「ヨシ!忘れよう!」
「ヨシ!不安要素なし、次!」
となればどんなに楽なことだろう。人間って、本当に面倒くさい生き物である。
最後は病的悩みグセを止められるか
悩んでいる自分が好き
という時代は終わったのだ!ちっとも格好良くない!ちっとも身にならない!この書いたことを定期的に読み返して、ぜひとも悩みを普通にしたい。