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能力が有るのは「可能性」、現実にあるのは「生きにくさ」
自分に特別な能力が備わっているとは到底思えない。なぜなら、特別な能力があるならそれでとっくに金持ちになっているからだ。今、考えなければならないのは、現実に、目の前にある生きにくさを何とかしなければ、自分の人生を過ごすこともままならない。
毎日やっているこの記事作成だって、自分にとっては不安がゆえの、生きにくさがゆえのアウトプットを繰り返しているだけであり、それが、自分の能力とは思えない。こんなの誰だって書けるし、もっと知りたきゃ専門家のHP見れば一発だ。
二番煎じ、三番煎じを書くつもりもない
金太郎飴みたいに量産されている記事達、本当に欲しい情報に到達しにくくなった。例えば、面白いゲームを物色しようとも、レビューは操作が多く、アンチと信者が戦い、結局自分でプレイしてみて決めるしか無くなっている。(YouTube実況は、自分にとって評価の対象にならない)
そんなゲームたちの批評をちょこっと書いてみたりしてはいるものの、ありきたりの文章ばかりである。「なんて自分は凡人以下なんだろう」と苦しむことはしょっちゅうである。
結局オリジナルの等身大の自分を文章に起こすことで差別化を図ろうとしているし、それが可能なのがHSPというテーマだ。
学生時代には通用していた記憶力、しかし、社会人では全く通じない
努力することを忘れていた私は、社会人になってからケチョンケチョンにやられてしまう。テストだって、受験だって、全く勉強したことなかった、勉強に時間を割かなかった私は、社会人になってあまりにも習得レベルが周囲より遅いことに気づく。これが世間なのか・・・と途方に暮れたのを今でも覚えている。
結局努力は必要です
周囲ともなじめず、グイグイと前にも行けず、後方に甘んじていた私は、少しづつ話せる人を中心に、仕事を理解する努力を続けた。最初は相手にもしてくれなかった先輩が、自分のポテンシャルを引き出してくれる。そうして上に上がっていった。何も特別なことはない、努力は必要不可欠なのだ。
「静かに生きたいな」と毎日思う自分
妻と子供二人と、静かに4人で毎日を送る、それを可能にするためにはお金が多少なりとも必要、そのためには、世間の荒波にもう1回飛び込まなければならない、本当にそれしかないのか、と自問自答しながらもう8年経ってしまった。完全に30代は崩壊状態。それなのに、世帯は持つは子どもは育っていく。
いつかかならず首が回らなくなる日が来る、こんな平和な毎日が来なくなる日が来る!そんな現実に怯えながら毎日を生きている。
HSP持ちに光を!HSPに安息な平和を!と願っても、誰だって一杯一杯、なら、自分で構築するしかない。