「いい子」でいることをやめると人生が変わる

いい子でいることを強要された幼少期

今の私は幼少期の刷り込みによって人格が形成されていると言っても過言ではありません。主に父親の迫害を受けていて、部活一つにしても、あれはだめだ、これもだめだと自由にさせてもらえず、たまの休みに帰ってきては酒を飲んで家族に当たり散らす。そんな毎日でした。

私は、こんな家族のところには居たくないと思い、自分で当たり散らすことの無いような幸せな家族を作ろうと、タバコと酒は絶対しないと決めました。それは現在でも続いています。

人格は移っていく

この家から出たい!その一心で30歳になったところでようやく家から出ることができ、家族もできました。酒を飲んで・・・というのはもちろん無いのですが、実家を出た理由は父親との大ゲンカだったので、良いきっかけでは無かったように思います。

「こんな家族から離れたい」そう思いながら崩している体調を引きずったまま県外に引っ越し、パートナーと自活を始め、結婚し、子どもが生まれました。しかし、そんな自分を制御できないのか、子どもに辛く当たってしまうケースが目立つようになりました。

「ああ、こんな自分嫌だな」と思いながら「やっぱり人格は子へ、孫へ移っていくというのは避けられないものかな」と思いながらも、「あの時は親父も余裕が無かったんだな」と思うようにもなりました。

近所との付き合いで「いい子をやめる」

最初は「トラブルを起こさないように、イメージを良く」といい子を演じようと必死でした。しかし、2回目の引っ越しで移った住宅には、ペット禁止アパートで犬を平気で飼う住人や、嘘八百並べたてる、文句を言った相手をクレーマーと罵り返す。つまり、「アパート内の鼻つまみ者」がいるのです。

ペットのことを管理会社に言うと、途端にこちらに怒りの矛先が向いてきて「直接言ってこい卑怯者」などと罵り、(はっきり言って会話にならないので、話し合いも通用しません)責任者として(班長)の職務は全うせずに完全に放置プレイ。アパートの階段はペットの毛だらけと、最悪の住人に当たってしまいました。しかし、こちらもそのくらいで出ていくわけにも行かず、もちろん、出ていけば相手も思うツボなので、こちらも「知りませんねえ」といいながら、管理会社に追い出せないか交渉を水面下で続けています。

「もういい子に生きるのはやめよう」と自分で見切りをつけ、「自分の思ったように行動する」と何を言われようがへこたれなくなり、平気になりますし、一番大きいのは精神的にも自由を手に入れ得られる。これが一番なのではないかと思うのです。

一番いけないのは我慢してしまうことです。もちろん、社会で生きる以上、無法者というわけには行きませんが、マナーを守らない、ルールや契約を平気で違反し、のうのうと生きている人間に対して誰も鉄槌を下さない!これは精神的にも不満が溜まってきますし、ことなかれ主義の日本人の悪い癖です。

おすすめの記事